東大阪の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

大阪府東大阪市歴史探訪
東大阪市の概要
東大阪市は、大阪府の東に位置しており、西に大阪市、東に奈良県と接しています。市域の大半は平坦な土地ですが、東部には生駒山を始めとする山々が並び、豊かな自然が残されています。江戸時代から木綿の産地として河内木綿の名が全国的に知られています。モノづくりのまちとして多様な企業が集積しており、一方で高校ラグビーの甲子園である「花園ラグビー場」があり、高校ラガーマンの憧れの地となっています。

東大阪のあゆみ
生駒山の麓から河内平野に広がる市域の人々の暮らしは、数万年前からありました。縄文・弥生・古墳時代には、市域は海から湖と湿地帯へと移り変わり、山麓を中心として100以上の集落や古墳がつくられました。大化の改新後は、河内郡衙(郡役所)・若江郡衙が河内町・若江周辺に置かれていたといわれています。その頃、「草香江」と呼ばれる生駒山麓の入江が万葉集にも詠われてます。この入江は平安時代、大江御厨と呼ばれる皇室領となり、その官掌者である水走氏は、河内国の一の宮である平岡神社を管理し、市域を治めていました。

南北朝時代に真言宗寺の興法寺・慈光寺・神感寺などが南朝方の拠点となりました。1348年、楠木正行は往生院に陣をおいて足利氏と戦い、飯盛山で戦死しました。室町時代には、河内国守護畠山氏の築いた若江城が拠点となり、河内国をめぐる争いが繰り返され、後に三好義継の居城となります。
また、徳川家康が豊臣家を攻めた大阪冬・夏の陣では、若江が激戦の地となり、名を馳せた豊臣方の武将・木村重成はここで戦死しました。

江戸時代、河内平野を南北に流れていた大和川は洪水が多かったため、今米村の中甚兵衛らが幕府へ請願し、旧川床や池沼地は埋め立てられて新田となりました。大阪の豪商、鴻池善右衛門が開発した鴻池新田には、いまも豪壮な会所が残っています。旧川床では木綿が栽培され、河内木綿の名が全国に広がりました。文化では、松尾芭蕉が「菊の香にくらがり登る節句哉」の句を残し、地元の文人には豊浦の中村四端、喜里川の中西豆伎、市場の岩崎美隆などが有名です。

1881年、市域は大阪府となり、1889年の市町村制施行により、約80ヶ村が19ヶ村に統合されました。同年、大阪鉄道(JR関西線)、1895年には浪速鉄道(JR学研都市線)が開通し、続いて生駒トンネルや近鉄線が開通するなど、交通網の発展によって商工業も発達していきました。
1937年には布施市(現在の西地区)が誕生、終戦後の1955年には枚岡市(現在の東地区)、河内市(現在の中地区)が誕生しました。その後、布施・河内・枚岡の旧3市の間で、広域行政の必要性が強まり、1967年に3市が合併して、人口50万人を擁する東大阪市となりました。現在は関西国際空港と関西文化学術研究都市の結節点に位置する東大阪新都心の整備などに積極的に取り組むなど、更なる発展に向けて歩んでいます。


東大阪の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
 郷土博物館
住所: 〒579-8052
大阪府東大阪市上四条町18-12 [地図を見る]
電話番号: 0729-84-6341
開館時間: 9:30〜16:30
休館日: 月曜日(祝日のときは翌日)、祝日の翌日(土・日曜日は開館)、年末年始(12月29日〜1月6日)
入館料: 一般 50円、高校・大学生 30円、小・中学生 20円
(※20人以上の団体は団体割引があります)







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